東京家庭裁判所 昭和35年(家イ)2499号
国籍 アメリ力合衆国 住所 ヒリッピン共和国
申立人 フレッド・ヒル・ウエイン(仮名)
(国籍 フィリッピン共和国 住所 東京都)
相手方 テレサ・アルゼニア・ウエイン(仮名)
調停条項
一 申立人と相手方は相手方の悪意の遺棄により本調停を以て離婚する。
二 当事者間の子A・B・C・Dの親権者を母である相手方と定め、相手方に於いて養育監護すること。
(家事審判官 吉村弘義 調停委員 江川英文 調停委員 古坂つぎ)
(参考)家事調停申立書<省略>
離婚理由
一、申立人はアメリカ合衆国ハワイ州を本国とする米国人であり、相手方はヒリッピン人である。
二、申立人と相手方は、一九五二年八月二〇日ホノルル市において、牧師の司祭により、ハワイ州法の定める方式によつて、結婚した。
三、申立人は再婚であつたが、相手方は初婚であつた。
四、両者間には一九五二年○月三日長女Aが、一九五三年○月一四日次B女が、一九五四年○月六日長男Cが、一九五五年○月二八日次男Dがそれぞれうまれた。
五、申立人と相手方とが結婚するに至つた経緯は次のとおりである。
両者は一九四九年にカリフォルニア州ロスアンゼルスではじめて会つた。申立人はその三年程前に先妻との離婚判決を得て爾来独身であつたが、当時は両者が密接な関係の友人となつただけで、結婚の話までは出なかつた。程なく相手方はヒリッピンに帰つたので、両者間には手紙の住復のみが続けられた。
申立人は一九五一年にハワイ○○病院○○科医師としてハワイに移つた。その頃相手方は世界周遊の旅に出て一九五二年三日にハワイに立ち寄り、ここで両者は再会した。
この再会で両者はお互の愛情を確認しあい、結婚すべきかどうかを真剣に考えた。そして相手方は一旦ヒリッピンに帰つた上再度ハワイに来て一九五二年○月二〇日に結婚したのである。
六、結婚後一九五三年十月まで両者はハワイに住んでいたが、結婚後間もない頃から申立人は相手方との性格並びに生活感情の相違に悩まされた。前述のとおり相手方は娘時代に再度の世界周遊をなし得たことからも窺われるように、経済的に恵まれた家庭で多勢の召使に侍かれて育つたせいか我儘で、なにか気にいらないことがあるとそれを凡て申立人のせいにして、申立人を非難し侮辱してやまなかつた。娘時代と違つて相手方はわずかにパートタイムのメイドの助けを借り得るのが精々なのに不平たらたらで、申立人が夜遠く病院や大学の勤務に疲れて帰つてくると、申立人に不満を訴え、あたりちらし、それが朝方まで及ぶことが稀ではなかつた。申立人の病院勤務は朝七時半からで自宅から病院まで自動車で一時間を要するため、申立人はいつも六時前に起きなければならないのに、右のような有様で夜一、二時間しか眠れないことが多く、勤務や自動車運転にも差支える有様であつた。申立人は両者の関係を愛情あるものに改善すべく努力を重ねたが徒労におわつた。
七、ヒリッピンに来てから両者の関係は益々悪くなつてきた。ここに来てから相手方は何かというと乱暴を働くようになつた。相手方は直ぐに抑制がきかなくなつて、申立人の着物を寝室からほおり出したり、その机のひきだしをひつぱり出して床の上に書類などをばらまいたりした。後にはシャツの袖を切り裂いたり着物をやぶつたりもするようになつた。
申立人にとつてやり切れなかつたのは相手方のそのような乱暴をいつうけるか予測できないことだつた。申立人は就寝中相手方から突然顔を打たれひつかかれてとび上つたことも屡々あつた。このようなときには爪でひどく顔をひつかかれて繃帯を顔にまくため、余りにもみつともなくて患者との面会約束をも取り消す破目になつた。
このような両者の関係を改善するため、申立人はわざわざ相手方に懇切な手紙を書いてその反省を求めたりして、改善を図つたが成功しなかつた。
八、相手方は、男であれ、女であれ、申立人が他人と親しくするのを怒り、それが昂じて申立人が召使や雇人と親しくするのをさえ非難するようになつた。そのため申立人の仕事にも差支えがおこつた。一例を挙げると雇人に仕事の仕方を教えているところに入つてきてその場の女性全部の住所氏名及び申立人との個人的交際の有無を調べたりした。そのため申立人がその場にいたたまれないような思いをしたことはいうまでもない。
九、相手方の乱暴の他の一例を挙げると、夜中の十一時頃に事務所から自宅にタイプライターをもつてくるよう言い出し、申立人が明朝にしようと言うと、どうしても今持つて来いと言いつのり、とうとう運転手にビル入口の重いガラスドアを打ちこわさせてタイプライターを持出し、しかもドアも入口もそのままほつたらかしにして、事務所もビルも侵入自在という状況のまま帰つてきた。
これは申立人の事務所の雇人や協同者のみならずそのビルの他の事務所の人々の間に大変な非難と軽侮の話題を提供した。
十、他の一例を挙げると、相手方は一九五七年の一二月二三日にある人のクリスマスディナーに招待もれになつたのを知ると、そこにおしかけて劇しい乱暴を働き、テーブルにあつたガラス製品多数(二六個分を申立人に弁償せしめられた)をこわした。その晩相手方を自宅に連れ戻して散々話し合つた末、相手方の要求で、申立人は自己の職業や尊厳を守るため已むなく別居することに決め爾来両者は性的関係を含む夫婦としての関係を一切絶止した。
十一、その後二年半になるが、両者の愛情は全く冷却し、お互によりを戻す心算もなく、そのための努力をしようとする気も全然ない。しかも仄聞するところによると、相手方は他に愛人を得て日本に去つたということである。両者の婚姻関係の実質は相手方の申立人に対する極端な虐待により疾うに失なわれている。子供は未だ幼少なので一応母たる相手方が親権者たることが望ましいと考える。
よつて本申立に及ぶ。